英国王名一覧
最近イギリスのチャールズ皇太子が国王即位に際して「ジョージ」に改名したいと言ったというニュースがありました(2005年12月24日共同通 信)。 改名を希望する理由なのですが「チャールズ」と言う名前の王のイメージとして不運な生涯を送った王が多く、それがどうも気にくわないという ことのようです。その代わりにジョージという名前は彼の祖父ジョージ6世が国民に人気があったと言うことで本人もその名を気に入っているようです。 それでは、過去のイギリス国王(イングランド王国時代および連合王国時代を通じて)の名前を見ながら、軽く業績なども触れて見ようと思います。 果たしてチャールズ皇太子が思うほどジョージという名前がよいのかチャールズという名前が悪いのか・・。なお、ここであつかうのはノルマン征服 以降の王様の名前を対称にします。それ以前のアルフレッドとかエドガーははいりません。
一番多いのは「ヘンリー」と「エドワード」の2つの名前を持つ国王で、どちらも8世まで行っています。まず「ヘンリー」から見ていくと しますが、「ヘンリー」の初出はノルマン朝3代目国王ヘンリー1世“碩学王”です(在位1100〜35)。碩学王というように優れた 学識を身につけた王でした。彼は庶子が多数いる一方後継者を海難事故で失い、彼の死後内紛が起きる原因となりました。次に出てくるヘンリー はプランタジネット朝で2人、ヘンリー2世(在位1154〜89)は内乱で乱れたイングランドを立て直し、ドーバー海峡を跨ぐ広大な 所領を有し所謂「アンジュー帝国」を生み出した人物ですが晩年は王妃や息子達との間でトラブルがおき苦しむことになります。それから2代間 をあけて次に現れたのがヘンリー3世(在位1216〜72)ですが、うってかわって統治能力に乏しく領土も減少します。ちなみに イギリス議会史にその名を残すシモン・ド・モンフォールはこの時代に活躍した人物です。
プランタジネット朝の後に成立したランカスター朝の3人の国王はいずれもヘンリー名をもっています。いずれの人物もシェイクスピアの戯曲で 名前が知られています。ヘンリー4世(在位1399〜1413)の時代はフランスと戦争中でスコットランドと関係が悪化するという状況に 加え国内でも不穏な情勢が続くなど内憂外患の時代でした。次のヘンリー5世(在位1413〜22)はアジャンクールの戦いでフランス軍 を破ったたものの早世し、王位は息子のヘンリー6世(在位1422〜61、70〜71)に引き継がれます。しかし彼は国王としての資質に欠 け、 最後はバラ戦争で敗北して捕らえられロンドン塔で死ぬという悲劇的な最期を遂げます。その後、テューダー朝で2人現れます。一人は王朝の 創始者で国内の統治機構を整備しイギリス絶対王政の基礎を作ったヘンリー7世(在位1485〜1509)、もう一人が取り替えた王妃6人、 処刑した貴族や知識人など著名人だけでも50人、ローマ教皇と断絶し、取り壊した修道院は500を越えるという38年間にわたるやりたい放題の 治世を送り、英国国教会成立のきっかけを作ったヘンリー8世(在位1509〜47)でいずれも非常に個性的な国王です。
同じく8世までいるエドワードは、エドワード1世(在位1272〜1307)はスコットランドを打ち破り、国内では模範議会を開設するなど 名君としてしられていますが彼の息子エドワード2世(在位1307〜27)はうってかわって暗君としか言い様のない人物でした。次の エドワード3世(在位1327〜77)は英仏百年戦争を引き起こしたりガーター騎士団の創設者としても知られています。その後エドワード と言う国王はバラ戦争により成立したヨーク朝の国王に2人います。一人はヨーク朝の創始者エドワード4世(在位1461〜70,71〜 83) で、もう一人は彼の子で僅かな在位期間で死んだ(殺された?)エドワード5世(在位1483)です。
その後エドワードという名前を持つ国王はヘンリー8世の息子で夭折したエドワード6世(在位1547〜53)のあと、エドワード7世 (在位1901〜10)が現れます。非常に在位期間の長かったヴィクトリア女王の息子で即位時の年齢が60歳という高齢でしたがかなりの競馬好きとして 知られ、持ち馬が3度もダービー馬になっています。エドワード8世(在位1936)は結婚問題が原因で退位し、その後はウィンザー公として 余生を送ることになりました。ヘンリーとエドワードを比べると3世、4世、6世以外は良くも悪くも目立つ王様が多いヘンリーと比べてエドワード の方は在位年数の短い王様が多く、5世や8世のように1年持たなかった人もいます。ただし模範議会を創設した1世や百年戦争に関わった3世、 一般祈祷書に関係のある6世など世界史に名を残した人々もいます。
その次ぎに多いのは「ジョージ」という名前の国王で、こちらは6世まで行っています。しかし中世に既にその名が見られたヘンリーや エドワードと異なり、18世紀に入ってから登場します。ジョージ1世(在位1714〜27)はもともとはハノーヴァー選帝侯でしたが、 スチュアート朝ジェイムズ1世の曾孫でプロテスタントということで王としてつれてこられました。元々ドイツの出身で英語を話さず、大陸 政策に関心を持つ一方で国内には無関心という王様で、そう言う状況もあって内閣に政治が任され責任内閣制が発展しました。ジョージ2世 (在位1727〜60)は自ら軍を率いて戦った最後の国王でした。先代と先々代が国内政治は内閣や議会に任せきりだったのに対して王室費で 買収した議員(王の友達)を通じて積極的に内政や外交に介入したのがジョージ3世(在位1760〜1820)です。大陸諸国の勢力争い、 アメリカ独立戦争、フランス革命やナポレオン戦争などの難局は乗り切りましたが、晩年は精神障害をおこしてしまいました。
彼の精神障害の原因の一つは不肖の息子達のスキャンダルであるともいわれますが、ジョージ4世(在位1820〜30)はまさに不肖の 息子としか言い様のない人物だったようで国民の評判は非常に悪い国王でしたが、彼の時代にスコットランドとの関係が改善されたと言われ ています。その後暫く間を開けてジョージ5世(在位1910〜36)、ジョージ6世(在位1936〜52)と続きます。ちな みに この間にエドワード8世がはいりますが1年も持たずに退位してしまい、そのとばっちりで弟ジョージが即位しています。ジョージ5世は 内閣への助言者として振る舞い、さらに第一次大戦では戦線や病院などに赴き将兵を激励したり、王家の名前をウィンザー家に変更するなど 国民の信望を集める行動をとり、名声を博しました。ジョージ6世も父親と似たような道を歩み(世界大戦が勃発し戦時下の苦労を分け合った 所も同じ)、高い評判を得た王様ですが、こういったところを見るとチャールズ皇太子が名前を変えたがるのも分かる気がします。ただし チャールズと違うのは家庭で問題は起こしていないと言うことですが・・・。
「ウィリアム」という王名を持つ人は4人いますが、そのうち2人は世界史用語では重要人物として出てきます。一人目は ウィリアム1世“征服王”(在位1066〜87)はノルマン征服によってノルマン朝を開いた国王として知られています。 ドゥームズデイブックと言う土地台帳の作成、イングランドにおける封建制の確立などの業績で知られています。しかし彼の 跡を継いだウィリアム2世“赤顔王”(在位1087〜1100)は父ほどの器量はなく、最後は狩猟中の矢が当たって死んで しまいました。 その後に登場したウィリアムは本来英国王室の出身ではなくオランダの出身です。オラニエ公ウィレムがメアリ2世の夫として 経堂統治者になりウィリアム3世(在位1689〜1702)になりました。2人の即位は権利章典承認を条件として認められ ました。その後ウィリアム4世(在位1830〜37)の治世において、救貧法の継続や1832年の選挙法改正が行われたこと がしられています。なお、チャールズ皇太子の長男はウィリアムズなので、彼が王位につくとウィリアムズ5世という事になり ます。国民の人気も高いようなのでもしかしたら誰かが裏で動いてチャールズをすっ飛ばして彼を王様にしたりは・・・しないかな?
創作物の印象で多いように思ってしまいますが意外と少ないのが「リチャード」です。リチャード1世“獅子心王” (在位1189〜99)というと十字軍に参加してサラディンと戦ったこと(ただし両者が直接相まみえたわけではない)が知られて いますし、ロビン・フッドやアイヴァンホーなどの創作物を通じて通俗的な人気はある人物です。しかしイングランド王と言いながら 治世の大半は外国で過ごし、十字軍への参加のあと帰国途中にオーストリアで捕らえられて幽閉され、身代金を払って釈放された後は フランスでフィリップ2世と領土の奪い合いを展開していました。リチャード2世(在位1377〜99)はプランタジネット朝 最後の国王となった人物です。そしてシェイクスピアの戯曲などで悪名高いリチャード3世(在位1483〜85)ですが、彼に 関しては再評価が必要な人物であり、実際にリチャード3世に関する研究は進められています。
現在の国王エリザベス2世や皇太子チャールズはここにランクされます。ちなみにチャールズ皇太子が改名しないで即位すると チャールズ3世になるので一つ上にあがります。チャールズ皇太子が名前の印象が悪いといっているチャールズ名の王様ですが、 チャールズ1世(在位1625〜49)は絶対王政を進めようとして議会と対立し、ピューリタン革命が勃発して断頭台の露と 消えた人物です。またチャールズ2世(在位1660〜85)は王政復古により国王となり、「陽気な王様」とよばれて多数の 愛人を持ち庶子を多く残した人物です。ちなみに彼はルイ14世とドーバー密約を結びカトリックへの改宗を約束しています。確かに チャールズという名前の王様は余りよい印象はありませんね・・・・。
ちなみにチャールズという王様はスチュアート朝にのみ存在していますが、同じくスチュアート朝にのみ存在するのがジェイムスです。 スチュアート朝国王ジェイムズ1世(在位1603〜25)はスコットランド王でしたがエリザベス1世の後イングランド王に迎え られました。しかしかれはイングランドの実情に疎く宗教面ではカトリック、ピューリタンと対立、火薬陰謀事件やピルグリムファーザ ーズ移住と言ったことが起きています。政治的には王権神授説を唱えて議会と対立するなど特に見るべきものはありませんでした。 ジェイムズ2世(在位1685〜88)はオランダ戦争で功をあげたもののカトリック教徒であることを公にし、国王となってからは 常備軍設置やカトリック化政策を進めて人心を失い、名誉革命で国外逃亡を余儀なくされます。しかしその後も復位を狙って反乱を起こし、 彼の子孫を支持するジャコバイトも度々反乱を起こしました。
メアリという名前の女王は2人、一人はテューダー朝のメアリ1世(在位1553〜58)で、夫はスペイン王フェリペ2世でした。 彼女はイングランドをカトリックに復帰させようとした人物として知られています。もう一人はウィリアム3世の妻メアリ2世 (在位1689〜94)です。エリザベスは現在のエリザベス2世(在位1952〜 )と、テューダー朝のエリザベス1世 (在位1558〜1603)です。エリザベス1世の治世は対スペイン戦やアイルランド戦による軍事費増大から財政が悪化するなど色々な問題 が生じますが、国教会や海外進出の基礎を作り、シェイクスピアの活動など文化面でも栄えた事が知られています。
この辺りは今のところ一人しかその名を使っていない王様達です。偉大な人もいれば不当評価されている人、存在感の乏しい人など いろいろいます。スティーブン王(在位1135〜54)はヘンリー1世のあと国王になりますが、ヘンリーの娘マティルダとの間 で王位を巡る内戦を戦うことになります。ジョン王“欠地王”(在位1199〜1216)は兄のリチャード1世と違って非常に人気 の無い人物で、フランス王フィリップ2世に敗れ、教皇からは破門され、貴族にはマグナ・カルタを突きつけられるなどさんざんな目に あってきた人物です。アン女王(在位1702〜07)の時代にはスペイン継承戦争(ヨーロッパ)やアン女王戦争(北米)といった 戦争が起きたことやイングランドとスコットランドが統合されたことがしられています。一代のみの王名で何より有名なものといえば、 大英帝国最盛期に君臨したヴィクトリア女王(在位1837〜1901)でしょう。一代植民地帝国を作り上げ(彼女自身もインド 帝国皇帝の地位につきます)、産業革命の進展(世界の工場なんて言われてましたっけ)やディズレーリやグラッドストンらによる議会政治 のもとイギリスは繁栄の時を迎えます。一方でヴィクトリア時代は非常に堅苦しい雰囲気であったとも言われます(あとでモンティパイソン などのコメディでおちょくられる対象となっています)。
このようにみていくと、ヘンリー、エドワードの名を持つ王族は今もいますが(チャールズの次男はヘンリーです。結構問題児みたいですが)、 これらの名を持つ王様は最近でておらず(ヘンリーに至っては450年近く出ていない)、ジョンやリチャードの場合は歴史的経緯と後の評判から つけにくくなっているようです。またこの頁を見ても分かると思いますが、イギリスの王様には「アーサー」という名前の人はいません。実際 には可能性はあったのですが・・・。一人目はプランタジネット朝のアーサー・オブ・ブルターニュ(リチャード1世の弟ジョフリの子)ですが、 ジョン王と王位継承を巡って争って敗れ、最後はジョンに殺されたとも言われています。もう一人はヘンリー7世の長男アーサーで、アーサー王 伝説にあやかろうとして長男にアーサーという名前を付けていたため、アーサー王が実際に登場する可能性はありました。
ヘンリー7世は祖先がウェールズの貴族と言うこともあり祖先をアーサー王に結びつけようとするなどアーサー王を利用しようとしていました。 そして1486年に生まれた王子にはアーサーと名付けますが、彼が生まれた場所はアーサー王と結びつけられていた古都ウィンチェスター(ちなみ にここには円卓があります)でした。これも意図的に出産場所としてウィンチェスターを選んだためのようです。王子アーサーが誕生したとき、 詩人達は「第2のアーサーあらわる」と謳いました。彼が生きていればアーサー王として統治することになったのですが残念ながら彼は早世して しまいました(そのためヘンリー8世が王になることができた)。今の時代にアーサーと名付けても果たしてどの程度人気が出るか分かりませんが、 チャールズ皇太子も起死回生の一手としていっちょ大ばくちを打って「アーサー」に改名してみてはどうかと思うのですが、かえって反発を買う かもしれませんね。